第3回

「窓」は不定期連載のコラム欄です。窓を開けて風通しを良くしたいという思いから「窓」と名付けました。
ダイバーシティに対する思い、ダイバーシティに対する期待等、皆さまからのご投稿をお待ちしております。
推進室ではダイバーシティ関連の書物や学外のフォーラム、他大学の取組みなど、幅広く情報収集しておりますので、これらの情報もこちらにてご紹介してまいります。

「ユーモアとダイバーシティ」

「女は強い。うちのカミさんなんか、すごいぞ」このセリフは、とある理系の大学で長く男女共同参画に取り組まれてきた、とある女性のA先生の思い出話に登場するセリフだ。「すごい」と言っても、字面通りの褒め言葉ではない。A先生が、学長・役職付きや一般の区別なく、また、教員でも職員でも多くの男性たちと、大学での女性活躍・支援の話をしていると、最後に皆必ず口を揃えて、上記のようなことを口にするそうだ。そして、周囲からあたかもユーモアに満ちたスマートな切り返しだと賛同するような笑いも起き、女はなんだかんだいっても強い(しぶとい)のだから支援など必要ないという雰囲気に変換され、その大学での具体的な女性支援の施策の話はうやむやに終わるそうだ。すでにお気づきのように、「すごい」という表現には、文字通りの称賛のほかに、なにやら皮肉めいたが暗い笑いが色濃く混ざっている。私がこのセリフを再度思い出したのは、前号の本コーナーの投稿者・探求の友さんのエッセイを読んだ時だった。そこでは、「一家の大黒柱は男性」という、日本の家計の習慣に追い詰められる男性の窮状を伝える記事の紹介と共に、短い示唆が添えられていた。自分の収入の使用権を握る西洋社会の男性とは異なり、日本の男性は「給料を「奥さんに取り上げられ」感謝もされず、会社等での承認を心の支えにしているために、男性たちをより仕事に走らせてしまうのではないか、と。なるほど、冒頭の某大学の男性たちのセリフの裏にも、こうした男性の苦労や心情が滲んでいるのかもしれない。だからといって、女への嫌味も、「男はつらいよ」という嘆き節も、思考停止でしかない。もう少し細かく言うと、男たちのジョークの中には、何かへの(対女性とは限らない)不満と諦観あるいは絶望が込められている。その表現を解釈し、別の言葉へ言い換えていくことが、まだ自覚されてさえいない苦しみや生きづらさを軽減するためのアイデアが見つかるに違いない。ダイバーシティのために必要なのは、自分や他の誰かの言葉に埋もれている感情を新たに発見し、そこにまた新しい表現を与えていくことだ。聴いて読んで、誰かに伝える。ペットボトルのサラリーマン川柳を読んで新しい発見があったら、それを誰かに伝える。

(投稿者:みかん)