第3回「多様な人が集まり相互に機能するインクルージョンは夢?」

2012年より男女共同参画室の初代室長を務められた、岡田往子先生が3月でご定年を迎えられました。原子力研究所での研究の日々、2009年の文部科学省科学技術振興調整費の採択、男女共同参画室の前身である女性研究者支援室の立ち上げ、そして現在のダイバーシティ推進室に至るあゆみについて、お話していただきます。

2007年(平成19年)、私は中村英夫学長(当時)に男女共同参画室の設置を訴え、大学協議会の承認を得て、6月に男女共同参画準備会を設置しました。学長直轄の委員会を設立するにあたり、田口亮教授には委員会構成、組織、位置づけ、規則などの屋台骨づくりに尽力していただきました。

私はと言えば、科学振興調整費女性研究者支援事業(補助金)の獲得に向けた活動を始めました。採択大学への聞き込みや学協会男女共同参画連絡会関連シンポジウム、JST説明会への参加等を通じ、採択大学の方々からたくさんの有益なアドバイスをいただきつつ、武蔵工業大学の名と岡田の顔を売る活動をせっせと行いました。さらに、応用物理学会の後押しもあって、2008年10月の学協会男女共同参画連絡会シンポジウムに、白木靖寛副学長(当時)の登壇機会を得て、武蔵工業大学の本気をアピールすることができました。

その頃、既に女性研究者支援事業を進めていた先行大学では、工学系における意識改革が進まないという課題が顕在化しており、特に首都圏の伝統校である本学への期待が大きかったように記憶しております。さて、科学技術振興調整費とは、総合科学技術会議の方針に沿って科学技術の振興に必要な重要事項の総合推進調整を行うための経費で、その中の一つに2006年から進められていた女性研究者支援モデル事業(現:科学技術人材育成費補助事業)がありました。この事業の目的は女性研究者がその能力を最大限発揮できるようにするため、大学や公的研究機関を対象として、研究環境の整備や意識改革など、女性研究者が研究と出産・育児等の両立や、その能力を十分に発揮しつつ研究活動を行える仕組み等を構築するモデルとなる優れた取組を支援するもので、我々はこの獲得に動いたのです。

2009年3月初めには、課題「工学イノベーションの男女共同参画モデル」の申請書を、学長、副学長、準備委員会メンバーに目を通していただいた後に提出。6月にめでたく採択の通知が届いた際には、未来への展望に心ときめく思いで、まさかこの時に採択された課題が後に物議を醸すとは、当時の私は予想だにしておりませんでした。2009年と言えば、武蔵工業大学と東横学園女子短期大学が統合し、東京都市大学が誕生した年です。こうした背景もあり、課題「工学イノベーション」には、これまで培った工学系の風土に新たな風が加わり、大きな変化を起こしたいという私自身の夢が盛り込まれていました。

今思えば「岡田ごときに」なのですが、当時はほんとうにそう信じており、新たに加わった領域と交わることで、多様な人が集まり相互に機能するインクルージョンな世界が本学の中に生まれると心から信じていました。大学運営を知らない岡田にとって、それから先には壁が何重にも聳え立ち、女性研究者支援室のメンバーと共にぶつかっては跳ね返されて、くねくねとした回り道を進むことになります。